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【個人手配】ミュンヘン観光:ダッハウ強制収容所を見学【女海外ひとり旅】【中欧旅レポ③】

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皆さま、こんにちは。
現在イギリスに長期留学中の速水メロディです。
私は、交換留学でイギリスに留学しており、秋学期と春学期の間の長期休暇を使ってヨーロッパ一人旅をしてきました。
今回は、その中欧ひとり旅レポの第3弾になります。
今回はドイツ、ミュンヘンのダッハウ強制収容所というところを見学してきましたので、その感想を述べていこうと思います。

この記事を読んで得られること

この記事を読むことで、中欧に旅行に行くとどんな感じなのか、がお分かりいただけると思います。

ダッハウ強制収容所にご興味があられる方は、今回の記事がいくらか参考になるかと思います。

なぜ旅行に行こうと思ったのか

まず、そのドイツに留学している子とオーストリア、ウィーンに旅行に行こう!ということになりました。
そこで、私はせっかくイギリスからウィーンに行くなら、ついでにチェコのプラハとドイツのミュンヘンにも行こうと思ったのです。

旅程

旅程は以下です。旅行は12月に行きました。

  • 12/16 イギリス、ブリストル空港→チェコ、プラハ空港。プラハ泊。
  • 12/17 朝、高速バスでプラハ→ドイツ、ミュンヘンへ移動。ミュンヘン泊。
  • 12/18 ミュンヘン観光。特にダッハウ強制収容所。ミュンヘン泊。←今回の記事
  • 12/19 朝、ドイツ鉄道でミュンヘン→オーストリア、ウィーンへ移動。ウィーン市庁舎のクリスマスマーケットへ行く。ウィーン泊。
  • 12/20 朝、ウィーンのカフェへ。シェーンブルン宮殿、シュテファン大聖堂、ペーター教会観光。夜ご飯にウィンナー シュニッツェル。
  • 12/21 ホーフブルク王宮、ウィーン美術史博物館、ベルヴェデーレ宮殿を観光。Regio Jet(参考URL:https://regiojet.com/)という電車に乗ってウィーンからプラハへ。プラハ泊。
  • 12/22 プラハ城、聖ヴィート大聖堂観光。夜に教会でのオルガンコンサート鑑賞。プラハ泊。
  • 12/23 ミュシャ美術館を訪れる。午後5時、チェコ、プラハ空港からイギリス、ブリストル空港へ。夜、イギリスの大学の寮に着く。

ダッハウ駅

おそらく、ダッハウ駅だったと思いますが、駅に降り立った瞬間からなんだか不安を覚えました。
ちょっとおどろおどろしいというか…生気が感じられない駅でした。
バイアスがかかっているのかもしれませんが…

ダッハウ強制収容所

ダッハウ強制収容所(ダッハウきょうせいしゅうようじょ、独語:Konzentrationslager Dachau)は、ドイツバイエルン州ミュンヘンの北西15キロほどのところにある都市ダッハウに存在したナチス・ドイツ強制収容所である。ナチスの強制収容所の中ではオラニエンブルク強制収容所と並んで最も古い強制収容所と言われ、後に創設された多くの強制収容所のモデルとなった。

1965年に、強制収容所跡地のうち旧捕虜収容所敷地内にダッハウ強制収容所記念館が開設された。2022年現在、旧捕虜収容所敷地跡とガス室と火葬場跡を含む範囲が収容所記念碑として公開されている。また、記念碑の敷地外にもいくつかのモニュメントが設置されている。
全部で30以上の国々から20万人が送り込まれ、その内の3分の1近くがユダヤ人であった。32,099人が収容所内で死亡し、他に約1万人が主に疾病、栄養失調、自殺によりダッハウの支所で死亡した。

ダッハウ強制収容所 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
URL: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%83%E3%83%8F%E3%82%A6%E5%BC%B7%E5%88%B6%E5%8F%8E%E5%AE%B9%E6%89%80

1933年3月にナチスが設置したダッハウ強制収容所は、ドイツ南部のミュンヘンから約16キロ北西に位置していました。
この収容所の初期の囚人は、ドイツ共産党員、社会民主党員、労働組合員、エホバの証人、ロマ族(ジプシー)、同性愛者、常習犯で占められていました。一万人以上のユダヤ人男性が収容された(水晶の夜)と呼ばれる暴力の結果、ダッハウ収容所のユダヤ人の囚人数は、増加しました。1933年から1945年の間にダッハウ収容所に投獄された囚人の数は188,000人を超えました。
1940年1月から1945年5月の間にこの収容所や他の下位収容所で死亡した囚人の数は少なくとも28,000人
(中略)
ダッハウ収容所は親衛隊の収容所護衛兵のトレーニングセンターであり、この収容所の組織と慣例がすべてのナチス強制収容所のモデルとなりました。

ダッハウ収容所では、ドイツ人医師が囚人に対して人体実験を行っていました。
たとえば、減圧室を使った高高度実験、マラリアや結核の実験、低体温実験、新薬投与実験などです。
これらの実験の結果、数百人の囚人が死亡したか、回復不能な障害を負いました。
さらにダッハウ収容所の囚人は、収容所運営のための強制労働者として建設プロジェクトや手細工の労働に駆り出されました。数千人の囚人は死ぬまで労働を強いられました。

1945年4月29日、ダッハウ収容所は米軍によって解放されました。米軍はこの収容所までの道のりで、死体が詰まった30を超える列車を発見したのです。

ダッハウ (簡約記事) | ホロコースト百科事典 Holocaust Encyclopedia
URL: https://encyclopedia.ushmm.org/content/ja/article/dachau-abridged-article

ミュンヘンから一時間半ぐらいかかったような気がします。

ここに着くまでの景色も、なんだか色がなくて、殺風景で怖かったです。

こんな景色を見ながら、ダッハウ強制収容所に連れてこられたのかなと思うと、背筋がぞっと凍るような感覚に襲われました。

ダッハウまでは、ミュンヘン交通チケット2ゾーン用乗車券で収容所までの電車もバスも乗れます。

鉄道:ミュンヘン中央駅→ダッハウ駅
バス:ダッハウ駅前→強制収容所前(KZ-Gedenkstätte)降車


館内の説明はドイツ語と英語で併記されています。
入場料無料です。
日本語のオーディオガイドを受付で借りられます。
※有料(一般€4.50、団体割・学割 €3.50)
デポジットとして、パスポートや国際運転免許証、学生証などの身分証明書を渡す必要がありました。

私は、留学先の学生証を預けたら3.5ユーロで借りられました。

返却時に学生証は返還されました。

詳しくは、ダッハウ強制収容所公式サイトをご覧ください→ KZ Gedenkstätte Dachau URL:https://www.kz-gedenkstaette-dachau.de/en/

バラック

無機質で、人権など微塵も感じられないバラックでした。

訪れたのが12月だったので、私がコートなどを着ていても寒く、当時収容されていた人たちはどんなに寒かっただろうかと思いました。

ずらっと淡々と並ぶバラック跡。

ここで寝て、起きて、労働すれば自由になれると信じて働き亡くなっていった方々を思うと、胸が重くなります。

今私がいる環境が、いかに恵まれていて自由であるのか、改めて噛み締めました。

トイレ

焼却炉

私は、この焼却炉が一番きつかったです。

もうその場にいるだけでも怖くて早く帰りたかったですが、見ないといけないと思い一通り見てからその場を去りました。

ここで何人もの人が焼かれたかと思うと、直視するのも躊躇われました。

ホテルに帰る

ホテル(ホステル)に帰って、スーパーで買ったものを食べました。

なぜか旅行中はあった買い物が食べたくなるのか、カップ麺をとても食べたくなるのです。

エビラーメンは青のりのようなものがかかっていて、美味しかったです。

きのこパスタのカップ麺もセンスのある味で、芳醇な香りがして美味しかったです。

また、クルトン入りのサラダも、レモネードも、もちろんウインナーも全部美味しかったです。

ドイツのスーパーの食材はレベル高いですね!

あと、箸とスプーンを持参して正解でした。日本と違ってスーパーで貰えませんからね。

こんな感じで、中欧ひとり旅3日目は終わりました。

重々しい気持ちになりましたが、気が引き締まりました。人生を無駄にしないようにしようと思いました。


最後までお読みいただきありがとうございます。

次回、中欧ひとり旅4日目もお楽しみに~♪

以上、速水メロディでした。

皆さん、暖かくしてお過ごしください。

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